自己体験に基づいたアダルトエッセイなので、
最近は長らく封印されていた遠い昔の記憶を解き放ったりしています。
生の体験なんでご不快に思われる方もいるかと思うので、
その場合にはお手数ですが今回の日記はスキップしていただきたく思います。
なお、私の個人的な思いにより政治宗教教育等をダイレクトに語るつもりはまるでありません。
↓ちょっとスクロール後開始
あれはまだ10才の頃だったかな・・・?
当時はまだガッコで体罰が結構あって、といってもボッコボッコにされるとかは
正直見たことないです。だから、流血沙汰も見たことないし、
尾崎豊的に夜の校舎窓ガラス壊してまわった人もいませんでした。
あとになってしったんですけど、80年代半ば?くらいまではあったそうですね・・・。
小説みたいなお話なんですが授業中に何か「不手際」があると、
教室の前に呼び出されて、38人くらいが見ている前で、
正座させられるんですよね。これは完全に晒し物すぎて、
当時からドラキュラ小説とかで「創作処刑物」とかにはまっていた私には、
逆らい難い権力によって連行されて、クラスメイトの前で見せしめで正座させられるってのは、
性的快感でしかなかったんです。
そこで、当時からかなりぶっ壊れていたわたしは、
何をすれば「教室の前に連行される」かがわかっていたので、
意を決してわざと学級委員の目にとまるように仕込みをいれて、
その委員はセンセに耳打ちで「密告」をするわけです(KG◎みたいだな。)
目的通りに連行された私は、望み通りに「正座の刑」に処せられて、
当時の私は10才だったからそれらをあまり深く意味づけることは到底できなかったけれど、
”性的に気持ちいい”ことだけははっきりと覚えています。
そしてほとんど毎日あまりにも退屈な授業を聞きつつ、
暇に思えると自分から連行されるように仕向けて、
快感をむさぼる、そんなとんでもない小学生でした。
身体的な体罰はあまりなかったけれども、
10才くらいから12才くらいにかけて、精神的な意味での
抑圧、密告、連行、刑罰執行(刑ではないけれどもさ(w))
は今にして思えば、結構あったなかとか思うんです。
SMの映像作品を初めて見たのはたしか14才くらいの頃で、
逆にいうとそれ以前では被虐とかそういうものと性的快感について、
考えたことはあまりなかったです。
これらをふまえた上で、17才くらいの頃からおぼろげに思い始めていて、
おそらくはそうだったんだろうなぁと思うのは、
9才〜12才くらいのこうい生の体験が、現実的には私の被虐願望への
重要な要素でもあったように思います。
ただよく言われているように、こういう生活環境の中だと、
被虐されることに何か前向きな意味を自分なりに見出して、
”これはしょうがないことなんだ”
と自分をいいくるめることで、今にして思えばですが、現実逃避と自己欺瞞とで、
生き抜いた、そんな遠い昔もありました。
これは5年くらい前までは、”思いだしたくもない記憶”だったんですが、
最近エッセイとかをちょこっとまとまったカタチで書くようになって、
どうしても過去の封印を解いてしまった感じです。
私にとって、ガッコでの(被)体罰は、性的快感を覚えるための手段でしかなかったかな。
最近は長らく封印されていた遠い昔の記憶を解き放ったりしています。
生の体験なんでご不快に思われる方もいるかと思うので、
その場合にはお手数ですが今回の日記はスキップしていただきたく思います。
なお、私の個人的な思いにより政治宗教教育等をダイレクトに語るつもりはまるでありません。
↓ちょっとスクロール後開始
あれはまだ10才の頃だったかな・・・?
当時はまだガッコで体罰が結構あって、といってもボッコボッコにされるとかは
正直見たことないです。だから、流血沙汰も見たことないし、
尾崎豊的に夜の校舎窓ガラス壊してまわった人もいませんでした。
あとになってしったんですけど、80年代半ば?くらいまではあったそうですね・・・。
小説みたいなお話なんですが授業中に何か「不手際」があると、
教室の前に呼び出されて、38人くらいが見ている前で、
正座させられるんですよね。これは完全に晒し物すぎて、
当時からドラキュラ小説とかで「創作処刑物」とかにはまっていた私には、
逆らい難い権力によって連行されて、クラスメイトの前で見せしめで正座させられるってのは、
性的快感でしかなかったんです。
そこで、当時からかなりぶっ壊れていたわたしは、
何をすれば「教室の前に連行される」かがわかっていたので、
意を決してわざと学級委員の目にとまるように仕込みをいれて、
その委員はセンセに耳打ちで「密告」をするわけです(KG◎みたいだな。)
目的通りに連行された私は、望み通りに「正座の刑」に処せられて、
当時の私は10才だったからそれらをあまり深く意味づけることは到底できなかったけれど、
”性的に気持ちいい”ことだけははっきりと覚えています。
そしてほとんど毎日あまりにも退屈な授業を聞きつつ、
暇に思えると自分から連行されるように仕向けて、
快感をむさぼる、そんなとんでもない小学生でした。
身体的な体罰はあまりなかったけれども、
10才くらいから12才くらいにかけて、精神的な意味での
抑圧、密告、連行、刑罰執行(刑ではないけれどもさ(w))
は今にして思えば、結構あったなかとか思うんです。
SMの映像作品を初めて見たのはたしか14才くらいの頃で、
逆にいうとそれ以前では被虐とかそういうものと性的快感について、
考えたことはあまりなかったです。
これらをふまえた上で、17才くらいの頃からおぼろげに思い始めていて、
おそらくはそうだったんだろうなぁと思うのは、
9才〜12才くらいのこうい生の体験が、現実的には私の被虐願望への
重要な要素でもあったように思います。
ただよく言われているように、こういう生活環境の中だと、
被虐されることに何か前向きな意味を自分なりに見出して、
”これはしょうがないことなんだ”
と自分をいいくるめることで、今にして思えばですが、現実逃避と自己欺瞞とで、
生き抜いた、そんな遠い昔もありました。
これは5年くらい前までは、”思いだしたくもない記憶”だったんですが、
最近エッセイとかをちょこっとまとまったカタチで書くようになって、
どうしても過去の封印を解いてしまった感じです。
私にとって、ガッコでの(被)体罰は、性的快感を覚えるための手段でしかなかったかな。
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