2013/5/1 4:07
これは私生活にもお仕事にも関連がなく、そればかりかこのブログサイトで扱っているような、
全ての項目となんらの関係さえももたない、あえて書いてこなかったし、はっきりとは書かない、
とある物語について・・・。
ソレはほぼ11年間続いたもので、かかわった人はどれくらいいただろうか。
少なくとも万を数える規模だったように思う。しかも国内だけでなく、北米、ヨーロッパも含めて。
喜怒哀楽といろいろあって、裏切りや嫉妬、あやしげなことの数々もあったけれど、
振りかえってみればそこで出会った人もかなりいて(*出会い系とかじゃないです。そういうことではないのです)、
いろいろとわたしの人生のページを色鮮やかにしてくれたものでした。
チープな表現だけれども、世界のたいていのコトには認めたくなくても終わりが来るもので、
それもまた同じく、黄昏を迎えて久しく、おそらくは終焉をこの目で見ることになりそうです。
(*なお、ソレは生命のあるものではありません。)
11年という月日は思えば私の生涯のほぼ30%を占める時間で、
もちろんソレと向き合っていた時間はたかが知れているかもしれませんが、
数字で11年と聞くと、その言葉の重さに砕け散りそうになります。
(*当たり前ですが、違法行為とかとは何の関連もないとある物語です。)
ソレには国内でも出会ったし、あたしがアメリカのとある場所にいたときも出会ったし、
台湾にいたときも同様に出会ったし、しかも当時のいろいろな想い出は、
一部だけども”文字”として刻まれています。
私は特に国際化が進んでいるとかいうことについて、なんら感じるところもないのですけども(当たり前なので)、
それでも特定の文化やそこに依拠しているだろうと思われる人に対して、
ある程度の先入観は払しょくしきれないのも自らの至らなさでその通りで、
あれ、もうゴタクはいらねぇ!!
涙がね、やっぱり出るんですよね、どうしたって。
ソレを通じていままでは、せいぜい大学で偶然ゼミでいっしょになったとか
そんなうさんくさい感じでしかしゃべったことがないフランスの女性とか、
ベルギーの女性とか、先日はアメリカのネイティブ・アメリカンの方とも知り合えた。
中国の方とは英語でしゃべれば通じるからよくソレでは遊んでいたし、
韓国の方とも距離なんて感じなかった。アラビア語圏の方々ともしばしば出会い、
率直にいえば、そのあまりのフツーぶりに失礼ながら驚いてしまった。
当たり前なのだろうけども、みな、同じ人だった。
(そこでジョンレノンとかを私は連想しません、ちょっと強調したいけど。いや、レノンは好きだけど嫌い。)
ここまで読んでいただいても、何のことかまるっきりわからないと思うんです。
申し訳ありません。それは隠すべきことではないけれども、私はここで書くつもりはないのです。
ただ、ソレが11年間、休むことなく走り続け、絶望もあったけれど、夢や希望が凌駕していた。
私は、ソレに出会えて本当に良かったと思う。
私は、実は日記を書くときに、「好き嫌い」と個人的感情はOKだとしているのですが、
「ものごとの是非、善し悪し」については、個人的に回避しています。これは私の私的な趣味です。
(なので、そうでない方の選択はその方の当然の権利として尊重いたしますし、批判の意図なんてゼロです。)
このところ、かなり意図的に、文体をシャープにしてきました。
一部に、何かあやしいものでもやっているんじゃないだろうか?みたいな文章もあったかもしれませんが、
そういったことはありません。私はお酒はカクテル二杯まで(身体的な限界で)、タバコは吸わないし、
イリーガルななんていうかおくすりみたいのは、まるで興味がないです。
文章ですが、いつもながら「意図的に論理性を落として、感情過多で描き上げる」のが
わたしのブログなので、不快に思われた方もおられたかもしれませんが、掲載いたしました。
それはそれとして、「11年に渡る物語の黄昏と終焉」とは果たして何なのか。
ソレは・・・。ただひとつだけヒントを記せば、”天の叢雲”という謎に満ちた言葉に集約されます。
そして、そこで出会った全ての方々に、ありがとうと記したい。
この日記は、いつものように時期が来たら製本化し、納本致します。
本当に、11年間、ありがとうございました、と”ソレ”に向けて、感謝し、締めくくります。
このブログサイトとも無縁すぎる内容ですいません。
ただ、記さずにはいられませんでした。
これは私生活にもお仕事にも関連がなく、そればかりかこのブログサイトで扱っているような、
全ての項目となんらの関係さえももたない、あえて書いてこなかったし、はっきりとは書かない、
とある物語について・・・。
ソレはほぼ11年間続いたもので、かかわった人はどれくらいいただろうか。
少なくとも万を数える規模だったように思う。しかも国内だけでなく、北米、ヨーロッパも含めて。
喜怒哀楽といろいろあって、裏切りや嫉妬、あやしげなことの数々もあったけれど、
振りかえってみればそこで出会った人もかなりいて(*出会い系とかじゃないです。そういうことではないのです)、
いろいろとわたしの人生のページを色鮮やかにしてくれたものでした。
チープな表現だけれども、世界のたいていのコトには認めたくなくても終わりが来るもので、
それもまた同じく、黄昏を迎えて久しく、おそらくは終焉をこの目で見ることになりそうです。
(*なお、ソレは生命のあるものではありません。)
11年という月日は思えば私の生涯のほぼ30%を占める時間で、
もちろんソレと向き合っていた時間はたかが知れているかもしれませんが、
数字で11年と聞くと、その言葉の重さに砕け散りそうになります。
(*当たり前ですが、違法行為とかとは何の関連もないとある物語です。)
ソレには国内でも出会ったし、あたしがアメリカのとある場所にいたときも出会ったし、
台湾にいたときも同様に出会ったし、しかも当時のいろいろな想い出は、
一部だけども”文字”として刻まれています。
私は特に国際化が進んでいるとかいうことについて、なんら感じるところもないのですけども(当たり前なので)、
それでも特定の文化やそこに依拠しているだろうと思われる人に対して、
ある程度の先入観は払しょくしきれないのも自らの至らなさでその通りで、
あれ、もうゴタクはいらねぇ!!
涙がね、やっぱり出るんですよね、どうしたって。
ソレを通じていままでは、せいぜい大学で偶然ゼミでいっしょになったとか
そんなうさんくさい感じでしかしゃべったことがないフランスの女性とか、
ベルギーの女性とか、先日はアメリカのネイティブ・アメリカンの方とも知り合えた。
中国の方とは英語でしゃべれば通じるからよくソレでは遊んでいたし、
韓国の方とも距離なんて感じなかった。アラビア語圏の方々ともしばしば出会い、
率直にいえば、そのあまりのフツーぶりに失礼ながら驚いてしまった。
当たり前なのだろうけども、みな、同じ人だった。
(そこでジョンレノンとかを私は連想しません、ちょっと強調したいけど。いや、レノンは好きだけど嫌い。)
ここまで読んでいただいても、何のことかまるっきりわからないと思うんです。
申し訳ありません。それは隠すべきことではないけれども、私はここで書くつもりはないのです。
ただ、ソレが11年間、休むことなく走り続け、絶望もあったけれど、夢や希望が凌駕していた。
私は、ソレに出会えて本当に良かったと思う。
私は、実は日記を書くときに、「好き嫌い」と個人的感情はOKだとしているのですが、
「ものごとの是非、善し悪し」については、個人的に回避しています。これは私の私的な趣味です。
(なので、そうでない方の選択はその方の当然の権利として尊重いたしますし、批判の意図なんてゼロです。)
このところ、かなり意図的に、文体をシャープにしてきました。
一部に、何かあやしいものでもやっているんじゃないだろうか?みたいな文章もあったかもしれませんが、
そういったことはありません。私はお酒はカクテル二杯まで(身体的な限界で)、タバコは吸わないし、
イリーガルななんていうかおくすりみたいのは、まるで興味がないです。
文章ですが、いつもながら「意図的に論理性を落として、感情過多で描き上げる」のが
わたしのブログなので、不快に思われた方もおられたかもしれませんが、掲載いたしました。
それはそれとして、「11年に渡る物語の黄昏と終焉」とは果たして何なのか。
ソレは・・・。ただひとつだけヒントを記せば、”天の叢雲”という謎に満ちた言葉に集約されます。
そして、そこで出会った全ての方々に、ありがとうと記したい。
この日記は、いつものように時期が来たら製本化し、納本致します。
本当に、11年間、ありがとうございました、と”ソレ”に向けて、感謝し、締めくくります。
このブログサイトとも無縁すぎる内容ですいません。
ただ、記さずにはいられませんでした。